令和8年度 生命論夏季研修
2026年7月21日(火)~23日(木)
3年生の選択授業「生命論」では2泊3日の夏季研修を実施しています。
1日目は、長島愛生園を訪問し、施設見学や班での討論を通して、ハンセン病患者に対する隔離政策や差別・偏見の実態、その背景にあった社会や行政のあり方について学びました。
2日目は、ホロコースト記念館を見学し、現地の盈進中学高等学校ヒューマンライツ部によるガイドや交流・討論を通して、ホロコーストの歴史やユダヤ人迫害の背景について理解を深めました。
3日目は、広島平和記念資料館の見学と被爆者講話を通して、原子爆弾による被害の実相や戦争が人々の日常や人生に与えた影響について学びました。
以下は参加した生徒による振り返りです。
・1日目(長島愛生園)
長島愛生園では、本を読んでなんとなく浮かべていた長島の情景を目の当たりにしてその当時の人々の息遣いを感じるような場所を訪れ、例えばハンセン病患者の方が実際に島に降り立つ際に渡った橋は社会との決別を告げるような存在であったりとそれぞれの用途だけでなく、その場所が患者の人たちにとってどのような意味を持っていたのかについてを考えながら島を巡ることができた。また、患者の方やその近くにいた人にしかわからない生活の中の不自由と、それに向き合うために自分たちで生活用品を改良したりする姿勢についてを間近で体験することができて、教科書やニュースだけではわからないような、患者さんにより近い視点での学習ができた。また、コロナ禍においても実感したことではあるが、未知の病気や危機に瀕した際の人間の行動として自分や自分の周りの人を守る行動をすることは当然の防衛本能ではあるが、そのような未知の存在を過度に恐れ、科学的にも効果がないような非合理的な排他などによって他の人々の権利や人らしい生活を侵害してしまうような行動をとることにつながるというハンセン病発見時の教訓を生かして、適切かつ合理的に未知の病と向き合っていくことが今の私たちにできる最も大切な姿勢だと考えた。
今もまだ愛生園で暮らしている人がいるってことは知っていたけれど、その数が63人で、平均年齢が89歳と非常に高いことに驚きました。ハンセン病について、そこまで詳しく知っていたわけではないので、たくさんのことを知ることができてよかったです。らい予防法が廃止されたときに、平均年齢は75歳で、長い間家族との連絡も絶たれていたから戻る場所がなく、そういう人たちが今も愛生園で暮らされているという話を聞き、驚きととてつとなく長い年数があったんだなということを実感しました。患者たちが自分らで作業をして、道路や十坪住宅を作っていたことにも驚きました。たくさんの場所や名称に辛い記憶だということが刻まれている気がして、とても重たいなと思いました。わかった途端の周りの反応のビデオをみて、コロナのときも周りが一個人を特定して、ネット上でいろいろ言うみたいなことがあったけれど、そういうことを考えると瞬間的な残虐性というものはパワーアップして現代も変わらず残り続けているのではないかなと思った。何事に対しても繰り返してはならない記憶として語り継がれはするけれど、結局繰り返してはしまうものなのではないかと思った。本当に繰り返さないようにするにはとかを考えてみたい。


・2日目(ホロコースト記念館)
ホロコーストについては、これまでも小中学校の社会科の授業で習うことがあった。しかし、そこでは「ナチスの問題」「ドイツの問題」という枠を超えることはあまりなかった。もちろん、歴史の知識が十分でない状況で教えることが困難だったという側面はあったと思うので、仕方ないこともあるとは思うが、人類全体として、第一次世界大戦から、あるいは人によっては原始時代から遡って考え、他人事、昔の事ではなく、現代の国際社会と照らし合わせて考えることができたと思う。ホロコーストを含むユダヤ人に対する偏見は政治面に加えて宗教面も絡み合う問題で、現代社会でも宗教や国籍による排他的な動きと、情報化社会での英語の普及など進み続けるグローバル化もある一方で、国家と個人の権利の対立なども考えるきっかけになった。
歴史の授業で学習し、国内での民族としての団結意識を高めるという役割のために実行された凄惨な事柄として学習した際に、以前から不和があり、かつ不況で苦しんでいていた中裕福に暮らしていたからといって今まで自分たちと同じように生活を送っていたユダヤ人をドイツ国民はどうしてそこまで迫害できたのか、と疑問に思っていたが、実際に記念館の中にはアンネ一家をかくまったり、隠れていることを知っていても気付いていない振りをするといった静かなる抵抗を行う勇気ある存在がいたことに心を動かされた。また、記念館を巡ったあとの討論時間では、誰が悪かったのか?自分達なら声をあげてホロコーストをとめられたのか?などといった議題で討論を行ったが、そもそも国民たちが投票した代表という形でヒトラーが台頭したわけであり、誰しもに責任があるとともに、それゆえ声を上げる機会を見失い流されていくといった構図が自分たちに置き換えてみても十分に考えられる事態であり、このような出来事が実際に起きてしまったから世界全体として繰り返さないよう自戒するようになっているが、防ぐことはとても難しかったのであろうという考えに至ったり、そもそも同じ言語を話す「民族」というくくりがあるからこそユダヤ人が捕囚されたりさまようといった過去が生まれそれが新たに人々の間の軋轢を生んだということから、民族という概念の存在自体が人々の団結感を生むと同時に排他主義や敵視につながりかねない、非常に繊細で人間である以上避けられない区別の意識の根源であるという考えをもった。


・3日目(広島平和記念資料館など)
原爆の投下が果たして正しかったのかは近年議論され始めている話題らしいが、平和記念資料館を観覧し終わったばかりの人に訊けば、おそらく全員が「原爆はよくない」と口をそろえて言うだろう。確かに原爆は良くないかもしれない。だが、原爆だけを特別視するのも得ないと感じた。原爆は兵器の延長線上にあり、武装しているとどこかではたどり着く兵器の一つに過ぎない。殺傷能力は確かにとても高いが、あくまで一つの兵器である。講演で、松本さんが「平和に向かって何かをし続けて下さい」とおっしゃっていた。私は、平和とはすべての国の完全な非武装であると感じる。しかし現実的には不可能だと思う。原爆を落とされた唯一の国である日本すらも核兵器禁止条約に批准していないからである。アメリカの核の傘によって守られているのは理解できるが、核兵器禁止条約に批准していないのに平和記念資料館が?と思ってしまう気持ちがある。平和記念資料館は、核兵器の恐ろしさを伝える目的で、いつか武器という概念がなくなるまで存続し続けてほしいと思った。
現在の世界は平和で、原爆投下は遠い昔の出来事であるように語られることもあるが、実際に被爆者の方と同じ空間で過ごし当時の一人の人間としての日常と、それが壊される瞬間を伺うという貴重な経験で、原爆投下ははるか昔の出来事などではなく、むしろ科学技術が日々進歩する現在こそ危機感をもって議論すべき話題であると実感した。平和祈念資料館では、大人から幼い子供までが被爆し、その亡くなる寸前の言葉や、後遺症と向き合う中でのリアルな心情、科学が人間に与える想像しがたいほどの凄惨な被害や苦しみを目の当たりにし、戦争というものでここまで大切なものを失ってまででないと国家同士は満足のいく結末を手にすることができないのかと純粋に疑問を抱いた。より豊かで幸せな生活を送るためにさらに領土が欲しい。自分の信仰するものと両立させることが難しい考えをもつ者を排除したい、といったように理由は様々だが、現状の幸せというものは失ってしかわからず、人間の際限ない欲望は様々な事柄を犠牲にして成り立っているのだということを実感した。中でも残酷であると感じたのが、被爆して壊滅的な被害を受けたとしても数年間は回復傾向にあったり、数日間はかろうじて生活を送れたりしてしまうという点であった。一度負った被害はいつまでも人々の心と体を蝕み、その人々の将来を簡単に奪ってしまうことが恐ろしく、そのような兵器を開発できるような力を人間が手にしてしまったという事の重大性を実感した。また、被爆して、身体に様々な被害を負ってなお諦めず前向きに夢をあきらめない人の姿にも心を動かされた。そのような人が将来をあきらめるような事態にならぬよう、言葉や道徳を持った人間らしい世界秩序の維持が行われる将来を作っていく必要性を実感した。



