62期生 成人を記念して同窓会を開催
20歳を迎えた62期卒業生が成人を記念して同窓会を開催、その様子を寄稿してくださいました。
同窓会主な内容
・事情により同窓会に来ることができなかった「62期代表」(自称)の男子から、会場を爆笑の渦に巻き込んだ「初めの挨拶」
・希望者からの「近況報告スピーチ」
・62期に関わりのあった先生方からの「メッセージ動画」
・附高祭恒例のカードに書かれた文字が同じである“運命のペア”を探す企画「高2の夏を取り戻せ!ディスティニー企画!」(高2の夏は附高祭がなかったので)
・「記念撮影」
同窓会委員3名からのメッセージ
ホテルでの同窓会では、卒業して2年越しに同級生と顔を合わせることになった。全く変わらない人、見違えるほどに垢抜けた人、でもみんな声を出して話すと何も変わっていなくて安心。
まず1番に思ったことは、この同窓会を開催できて本当に良かったということだ。コロナの影響で、文字通り何も出来なかった2年間。思い通りの大学生活を送れず、苦労し続け、サークルや飲み会だけでなくこの同窓会まで無くなってしまうのかとひやひやしたが、何とか開催することが出来た。対策をこれという程万全に行ったものの無理をしての開催になったが、全力で楽しむことができたのは同級生みんなの協力でおかげで、ルールの範囲内で最大限の楽しみ方ができるところはやっぱり卒業しても附高生のままだなと心から感じた。
同窓会は食事と共に、卒業の際に撮影した夢ビデオと学年の先生方から頂いたビデオメッセージを上映したり、この2年間に起きたことを語り合ったりと、本当に濃い2時間だった。
このコロナ禍の2年間で、新しいことを初めて成功させたという人がいて本当に驚いた。2年経っても心置き無く色んな話ができ、そして尊敬し合えるところも附高生のいい所だと思った。
自分にとって附高生の仲間は本当にかけがえのないものだ。思春期の6年間を共に過ごし、色んな行事、そのなかにある挫折や喜びを経て共に成長してきた大切な仲間。みんな変わってないな、と感じると同時に、そう確信した同窓会だった。
協力して頂いた同窓会委員、62期のみんな、そしてここまで私たちを成長に導いてくれた先生方に心から感謝したい。
私は附高の卒業後、地元を離れて東京で一般企業へと就職するという少し変わった道筋を辿りました。卒業後はなかなか学友とは会えず、新しく会う人たちもお互いどこか他人行儀で本当に気兼ねなく話せる、友人と呼べる存在を作るにはどうしたものかと感じています。
そんな中で同窓会委員という形でこの同窓会に関わり事前におよそ9割の同期卒業生が集まるとは知ってはいたものの、いざ当日に集まってみるとその迫力は圧巻でした。まさにタイムスリップしたかのような空間で私の感じたのは”実家のような安心感”でした。先に述べた事情で東京で一人暮らしをしていると、なかなかに寂しさも積もり(そのままの意味の)実家を離れた際には考えられないほど頻繁に、長期休み毎に大阪へ戻る生活をしています。そうして実家へ戻った時の安心感を同窓会でも感じました。気兼ねなく話せる、きっと自分のことを理解してくれると思える仲間はここに、こんなにいるのだと改めて思い出した次第です。
私は多くの同期より4~6年早くこの道を辿っていますが、恐らく数年もすれば自分と同じようになんだか寂しいと思う人は出てくるのでしょう。そんな時にあなたの仲間はここにいるのだと伝えられるような人になりたいと思いました。
附高を巣立って2年。62期は今年成人を迎え、成人を記念して同窓会を行いました。附高生に再会し感じたことは「自分の中の附高生の存在の大きさ」です。附高を卒業し新たなコミュニティがたくさん形成されていく中、どこかでずっと自分には附高生が1番合ってるのかなぁとぼんやり思っていました。同窓会を経て、そのぼんやりとした想いは確信に変わりました。久しぶりに62期に囲まれている同窓会の空間に心の底からの幸せと他では感じない唯一の安心感を感じている自分が居たからです。62期のみんなは、私が高校生の時みんなに対して思っていた”自分にはないものを持っていて1人1人違う個性がある人たち”のままでした。話していると刺激をもらえ且つ本当に楽しいみんなだから、自分の中でこれほどまでに大きく、大好きな存在となっているのだと改めて感じました。附高を卒業してすぐコロナ禍になってしまった私たちは思うようにいかないことも多かったのですが、今回20歳の記念に同窓会を開催でき、みんなと再会できたことをとても嬉しく思っています。一生仲良くしたいと思える仲間に出会えた附高に心から感謝です。
